琴線を奏でられた。触れるという言葉では足らない。映画館で、あるいは人前で見なくて良かったと、思う映画と時たま出会う。身も世もなく泣き出してしまって、とても一人家で見るほかないような作品だ。本作はこれに当たる。感動作というくくりらしいが、感情を動かされるどころか、傷つけられるようだった。かといって感傷という表現で済ませたくもない。情傷という方がしっくりくる。
洞窟みたく水音したたる、心の奥底。竪琴として横たわり、眠っていた心の琴線。この作品は入り組んだ洞窟に身を滑らせ、見事な両手で琴線に触れるどころか、ばらばらと奏ではじめた。トッドが皆の前で詩を、魂を発露させたシーンから最後まで、壊れたように涙がせき止められなくなってしまった。自分でもどうしてこんなに泣きじゃくってやまないのか説明がつかない。
この作品に流れる精神、意志、そして男子生徒たちの境遇は、あまりに自分と重なるところが多すぎた。もとより映画には感情的に没入しすぎる手合い、情傷的オーバーラップが炸裂。ことニールと父親の諍いの場面、いや、諍いというよりあれは、暴力だろう。あの暴力シーンは見ていて自分の過去が否応なく呼び起こされ、ほとんど床をのたくりながら泣き叫ぶ羽目になった。誰がこんな醜態をさらしたいのか。既に克服、あるいは風化したものと思っていた過去の傷が鮮血を噴き出してしまい、まったくもって立ち直れていなかったことが判明したのだ。立ち直れていないどころか、あの日々から私は、前に進めていないのではないか。少しは遠くまでやって来たと思ったのに。
親が思う以上に、子供に対する親の接し方というものは、その子の人生を簡単に狂わせる。簡単だ。親は気が付きづらい。子供によっては傷を隠すため、今しがたの発言や行動が子供にとって生涯の傷となったことに一切気の付かない親もいる。親の心子知らずというが、逆もまた然りだ。子の心親知らず。
それが顕著に現れているのは、ニールが父親に一喝され、眠れずにパックの冠を被って窓を開ける場面だろう。ニールは傷ついて、とても眠れない。当たり前だ。あんなことを父親から言われ、母親も味方してくれないと分かったら、どれだけの絶望だろう。しかし父親と母親は、破裂音が響くその瞬間までのうのうと眠っていた。言い過ぎたのではないか、息子を尊重できていないのではないか、親として大いに心配ではあるが、彼は彼の人生を楽しむべきなのではないか、そんなことを悩んで眠れない、なんてことはない。もう心配するなとさえ宣って、反抗期の不良な息子に悩まされている自分らを労り、眠るのだ。
所詮その程度だ。親の愛情なんて。エゴなのだ、何もかも。子供を生むのも、自分の育って欲しいように育てるのも、何もかもがエゴだ。私はつい最近、高校生頃までは、自分は親のペットか何かなのではないかと本気で信じ込んでいた。そうとしか思えないからだ。私を取り巻く状況も、私に対する親の接し方も、言葉選び、行動、何もかもが。
子供をけして見下してはいけない。支配下に置こうとしてはいけない。自分で物を考えられないなどと、大人の既成概念で縛り付けてはならない。重罪だ。幼い魂の自由を奪うな。この醜い、救いようがない人間社会を変えたいとは思わないのか。新しくこの世界にやってきてくれた、まっさらな魂に、既にある汚い偏見を教え込んでどうする。実体のない常識を教え込んでどうする。ただ魂を開け放ってやるべきだ。子供たちはきっと我々よりずっと賢く育ち、ずっと広い心を持ち、世界に思いやりを注いでくれるだろう。
男子生徒たちの世界に対する精神的な闘争、これは私もずっとやってきたことだ。頭で想像する以上に苦しいことだ。しかしやらずにはいられない。やらない方が苦しいからだ。惨めだからだ。やっても苦しい、やらなければ地獄が待っている。ならば闘うほかあるまい。若人にとって、世のすべては敵だ。歯向かわなくてはならない社会に生まれてきてしまって、悲しい。
Dead Poets Societyというタイトルもまた素晴らしい。正直このタイトルに惹かれて観た。死せる詩人というが、詩人というものは皆、死にながら生きているのではないかと思う。世の中には、生きながらにして死んでいる人間もいて、そういった人々はときに、そのことに対して苦痛すらおぼえないが(キャメロンや校長はこのたぐいなのではないだろうか)、死にながら生きる詩人たちは、たいてい苦しそうだ。そしてときに、自ら死へ帰ってしまう。
私にはあいにく、洞窟でともに詩を詠んでくれる友はいない。サックスで訴えてくるヌワンダも、デスクセットをはばたかせてくれるニールも、キーティングのような恩師も。
ならば私は独りで詩を詠もう。O Captain, My Captain! 独りで踊り、独りで奏でよう。洞窟には一人分のウィスキーが流れ出し、炎がちらついて煙と笑いが混ざるだろう。さみしくはない。私の背後には、死にながらにして生きた詩人たちがひしめいている。私にも彼らのささやきが聞こえる。こう言っている。
Carpe diem.
Carpe diem.